先日、作家の「はあちゅう」さんの本「半径5メートルの野望」を読みました。
「読みました」と言っても、30ページほど読んでから読むのを止めました。
はあちゅうさんの本は以前にも『はあちゅうの 20代で「なりたい自分」になる77の方法 』「小さな野心を燃料にして、人生を最高傑作にする方法」の本を読んだことがあります。
実はこの時にも自分にはしっくりきませんでした。
その時は「この本は自分には合わなかったのかな」と思っていました。
でも、今回「読むのを止める」という行為をして、「なんで読むのをやめるに至ったか」を考えてみて、言語化できて、自分のなかで発見があったので、このように書いてみました。
ハッキリ言って批判的な内容も多いです。
はあちゅうさんお好きな方はごめんなさい。
はあちゅうさんの本を読むのを止めた理由
まず、はじめに僕ははあちゅうさんのアンチではありません。
この記事を書いている今でも「嫌い」という感情はないです。
彼女の事はネットで知り「なんかこの方有名らしい。どんな方なんだろう?」と興味を持ったのが始まりでした。
人気の理由や支持される理由などが気になり、本を出されているというので本を借りてみました。
で! 今回借りた本「半径5メートルの野望」を途中で読むのをやめてしまいました。
その理由はいくつかあるんだけど、Twitterやネットなどの発言とリンクしてしまった事も原因としてあります。
いくつかあるので書いていきます。
はあちゅうさんは自分の不幸話が多い
はあちゅうさんは昔からネットで活動されていて結構な頻度で炎上もしていますし色々と言われる事も多い。
この本にも最初に「ブスと言われ続け、日本一のブスの称号も得てしまった」というのが書かれています。
この話は他の本か記事でも読んだことあります。
さらに他にも「こんなことがあったんです」「こんな悲しい事もありました」と続いていて、内心「もう不幸話はいらないかな」と思ってしまった。
不幸話にはかなりのページ数や行数を使っていて不幸話にうんざり。
書くのなら数行でまとめてくれ。
「負をエネルギーに変える」という項目だから、負の事を書くのは分かるけど、何ページも書かれると疲れる。
しかも他の本で知っている内容を再度書かれると「またか・・・」と思ってしまいます。
はあちゅうさんは違うとは分かっているけど、「私こんな悲しいことあってかわいそう」て言いたいのかとも思ってしまいました。
端々に感じてしまうはあちゅうさんの性格の悪さ
はあちゅうさんは心の中で一般人をかなりバカにしてると感じる。(実際はご本人しか分からないけど)
でも、確実にアンチはめっちゃ下に見てる。と感じる。
文章の書き方や言葉の使い方の端々にそれを感じてしまうんですよね。
どうにかして悪く書いてやろう
最初の方で『合コンを初めて企画したら男性から「お前が一番ブス!」と言われた』というのがあります。
そのあとには「男性&男性陣が飲食を頼みまくった」「飲み代も女性陣だけ多く払わされた」「多く取った飲み代でカラオケに行った(のだろう)」と書かれている。
なんか、「こいつらめっちゃクソヤロウ」感があるんですよね。
私いきなりブスって言われて驚いたし悲しい想いをした。(こんな超クソヤロウに)
という感じ。
「女性陣だけ多く払わされた」ならその時に直接言えばいいし、あとで知ったのならその時に言えばいい。
「多く取った飲み代でカラオケに行った(のだろう)」というのも推測で悪く言われる方もかわいそう。事実が確定せず分からないのであればなんともいえない部分のはず。
わざわざ本に書いて攻撃しなくても・・・。
状況説明だとしても、端々に恨みつらみやどうにかしてこのクソヤロウの悪い部分を書いてやろう感がある気がするんですよね。
一般人を心の中でバカにしてる
Twitterで誰でも発信できるようになり、はあちゅうさんへの悪口もエゴサでみかけるようになったとのこと。
そこでの考えを赤裸々に書いています。
書いている内容はハッキリ言って・・・とても分かる。
言いたい事も考えも分かるし正解だけど、なんか「一般人を心の中でバカにしてる」感があるんですよね。
まぁ、悪口を言ってくる相手だからバカにするのかもしれないですけど。
例えば「半径5メートルの野望」の本文を見ても
神様気分なのか批評家気分なのかわかりませんが、「いかがなものか」などと、上から発言をしまくっています。私からしたらそういうお前こそ「いかがなものか」です。
そうやって過去のツイートを見て、漂う小物感と人生がうまくいっていない感を確認して、「こんなたいした人生を送っていない、しょうもない人に批判されたくらいで負けないもんね。今にその口をふさいでやるわ!」と溜飲を下げています
小物たちが私のアラを探しまくっている間に、私は大物になるために頑張るのです
小物たちは私にせっせと「悪口」という燃料を毎日くべてくれているので~
私の原動力になってくれてありがとう、とこの場を借りてお礼を言っておきます
などなど。
これが2ページの間に全部書かれています。
本全体ではなく2ページに。
これ内容自体はすごいわかる。
解決策としての考え方も「こういう風に考えられるな」とも思っています。
でも、なんかね、バカにした感があるんですよね。
「小物」とか「お前」というワードに引っかかっているだけかもしれないけど、「何か言ってくるお前らは私より劣ってるじゃん。なんにもできてねークズじゃねーか」みたいな気持ちがあるような気がする。 というか、そう感じてしまった。
はあちゅうさんの不幸話からの叩き
「不幸話が多い」「バカにする」というのがセットだと感じています。
不幸話や失敗を書くことで、自分を一般化したり、さらには「私はあなたたちと同じなんですよ、むしろこうやってバカにされて下にいる人間でたいしたことないんですよ」感を演出することは可能です。
読者に
「こんな成功している人もこんなコンプレックスがあって悩んだりしていたんだ!」
そんな風に思わせられるから。
これ自体は気にならない。(若干クドイとは感じたけど)
でもその後の「バカにする」のがセットになってしまっているのが引っかかるんです。
「ブスって言われたから、そいつらの事もクソヤロウ扱いして悪く言うよ」
「悪口言うヤツは小物扱いするよ」
いきなり「クソヤロウ」と扱うと角が立つけど、自分をマイナス面に持って行くことで同情が発生してクソヤロウと言っても「あぁ、こんなヒドイ事やられたらそういう気持ちになるよね」という思いを抱かせることができる。
単体だと良くないにも関わらず。
このセットを上手く利用して、逆に著書で悪口を書いている気がしてならない。
むしろ、本の中で悪口を書いて仕返しをしているようにも見える。
仕返しは別にいいんだけど、そこから見える「性格の悪さ」が気になってしまいました。
もちろん実際の性格は分かりませんよ。
ただ、彼女の作品に触れてそういう想いを抱いてしまったから、僕の中では「はあちゅうさんは性格悪いのかも」というイメージがついてしまいました。
そして極めつけはこちらです。
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はあちゅうさんは本で書いてる事とやってることが違うじゃないか
悪口っぽいのが続いた後に書かれていたのがこちらです。
かなり昔のことですが、ある仕事関係者に悪質なパワハラとセクハラを受けていたことがあります。
仕事で会わなくなって数年、その人の存在も嫌がらせも忘れていました。そんな時、その人と関わった友達からの話で思い出して、そんなしょうもないやつを恨んでいる暇もないほど充実している自分の人生に、感謝したくなりました。
「向こうが私に執着しているにも関わらず、私は相手の事を忘れていた」という時点で勝った。
執着しているほうが、相手への想いが強いのです。
あの時の嫌がらせをブログに書いて懲らしめることもできるけど、無駄な恨みを買ってもしょうがないし、そんなことをする自分の時間ももったいない。
なにより、それで私自身の品位が下がるのがイヤです。
書かなくても分かる人にはわかるので、復讐を果たしたも同然かもしれません。私にできることは、相手のことを忘れることです。
めちゃめちゃ良いことを言ってる!
ほぼほぼ同意です。僕も同じ考えです。
嫌な事があったとしても、このように考えられれば前に進む事ができますよね。
マイナスのことでもプラスに考えるの大事ですよね!
その後のはあちゅうさんの行動
そしてはあちゅうさんがその後に取った行動は・・・
「はあちゅうが著名クリエイターのセクハラとパワハラを証言」
電通時代に岸勇希氏からうけたことを大々的に告白。
自らが受けた性暴力について語り、連帯する「#metoo(私も)」。
「#metoo に背中を押されました。必死の訴えで、少しでも世の中が良い方に変わることがあれば」。
性的被害に悩んでいる人に向けて。
めっちゃ言ってるーー!!!
さらにリンク先のBuzzFeed Japanを見ると
はあちゅうさんは当時のことを忘れられずにいたという。最近、岸氏が新たな本を出版したことで露出が増え、その苦しさが蘇ってきたこと、#metooの動きがきっかけとなり、証言することを決意した、と話す。
岸さんのセクハラの話はもともと公に公表する勇気がなく、友人への個人的な相談のつもりでした。その方が『この話は公にするべきだ』とBuzzFeedさんをご紹介いただきました。
私はこうやって声をあげるまでに、7年かかってしまいましたし、その間、ずっと『彼のことを許せない私が悪い』『忘れられない私が人間的に未熟なのだ』と自分を責め続けていました。
・・・ん??
「半径5メートルの野望」の本ではさ、
私にできることは、相手のことを忘れることです。
仕事で会わなくなって数年、その人の存在も嫌がらせも忘れていました。
「向こうが私に執着しているにも関わらず、私は相手の事を忘れていた」という時点で勝った。
こう言ってたじゃないですか!
忘れてないやん!
めっちゃ覚えてるやん!!
発言する事は別に良いんですよ。
#metooの活動の状況もあるだろうし、自分の考えも変わることも多々あります。
告白するのも全然OK。
#metooに参加するのもOK。
辛い過去を告白して同じセクハラ・パワハラで悩んでいる人の力になるかもしれないしね!
でもね、書いてる事とやってることが違うじゃん(笑)
本では結構良いこと言ってますよ!
カッコ良く言い切っていますよ!
私にできることは、相手のことを忘れることです。って。
こうやって書くこと自体は良いと思うんです。
それを見た女性たちは「はあちゅうさんカッコイイ」とか「私もそうしよう」とか思うはず。
元気を与える事もできるでしょうし。
でも、それが本当なら!の話し。
著者が嘘を書くのは違うと思うんだよね。
「向こうが私に執着しているにも関わらず、私は相手の事を忘れていた」
「はあちゅうさんは当時のことを忘れられずにいたという。」
この二つの相反する事実が存在するという矛盾。
2015年発行の著書には「忘れていた」「友達との会話で思い出した」
2017年のインタビューでは「当時のことを忘れられずにいた」。
ていうか、忘れらないのは当然だと思う。
そんなイヤな想いはそうそう消えることはないです。
それは仕方がないことだし、2年もあれば何かしらの感情の変化が起こるかもしれない。
でも、「事実」は変わらないはずなんだよね。
それが数年で変わるというのはちょっとおかしいんです。
これは完全に矛盾であり、どちらかが嘘ですよね。
これを見た時に「この人の本や意見を読む価値はない」と思い本を閉じました。
だって、嘘が載っているし、もしかしたら「こうできたらいいな」みたいのを書いてるだけかもしれないじゃないですか。
もちろんそれで救われる人もいるのは事実です。
それはそれとして、あなたの経験を書いた本のあとの言葉(インタビュー)で嘘はマズイと思う。
忘れてたなら忘れてた、忘れてないなら忘れてない。
これは自分自身のことなのでどっちかはハッキリしているはずです。
流れ上絶対「忘れていない」なんですが。
それなら嘘偽りなく「ずっと忘れられていない」と最初から書いてくれていれば良かったのになって今は思います。
嘘を言った事で今までのカッコイイ文章が台無しになってしまいました。
例えば先程の
「向こうが私に執着しているにも関わらず、私は相手の事を忘れていた」という時点で勝った。
執着しているほうが、相手への想いが強いのです。
も、忘れていないから全然勝っていないんですよね。
もしかしたら執着していたのははあちゅうさん自身かもしれない。
嘘に基づく強がりは良くないですよ。
また嘘をついてまで相手をけなすのは良くないですよ。
今回のを見る限りでは、本やメディアにとって見栄えが良いことを言っているだけで、「そういうことをする人物」だと僕は思ってしまいました。
岸氏のその後
岸氏は2017年に独立。株式会社「刻キタル」の代表取締役に就任。 2017年10月「己を、奮い立たせる言葉。」を出版
本はAmazonレビューでは酷評に溢れ、株式会社「刻キタル」の代表取締役は辞任したとのこと。
ちなみに
ちなみに著書に書いてあることと実際に思っていた事の相違、行動の相違を書いただけであり、ここでセクハラ・パワハラの是非や声を挙げた事の是非について語る気はないです。個人的な意見としては岸氏が悪いと思っています。
また「#metooなどで告発するな」というわけではありません。言うのは自由ですし必要であれば言うのも問題ありません。
僕が引っかかったのは「言っていることが場所によって違う」ということです。そこが違うのはよろしくないと考えています。
はあちゅうさんの本を読むのを止めた3つの理由。
本に限って言えば今まで「なんかしっくりこない」と感じていたところに今回の本。
そこで違和感に気が付き本を読むのをやめてしまいました。
「はあちゅうさんの本を読むのを止めた理由。」をまとめるとこのようになります。
はあちゅうさんの本を読むのを止めた3つの理由
- 自分の不幸話が多くて疲れてしまった
- 誰かを悪く言っているように見える書き方がキツイ。バカにしている感じが耐えられなかった。
- 書いてる事とやっている事が違う
嘘が載っている可能性があると分かった時点で醒めてしまったのと、100%信じられなくなったのが一番大きいです。
どうしても「また嘘で強がった発言をしてるんじゃないの?」というのを考えてしまいます。
本の書き方の問題は僕とはあちゅうさんの狙ってる層(届けたい人・読者層)が違うだけっていうのもある気がします。
ターゲットは女性でしょうし、女性は気にならない書き方で男の僕は気になってしまっただけかもしれません。
これら全てが相まって「なんかしっくりこない」と思ってしまっていたんだなと感じました。
ようやくモヤモヤの正体が分かった。
disり記事になってしまったけど、はあちゅうさんの考えや情報を入手するアンテナの広さと感度、そして実行力。この部分は大好きだし尊敬しています。
ビジネス面でのツールの使い方などは素晴らしいです。
天才的な嗅覚があると思っています。
その面では今後もはあちゅうさんは注目しておいた方が良い人物であることには変わりがないとも思っています。
>>> はあちゅう さんの本一覧