先日こんなことを呟きました。
「上手い」を目指し過ぎると「良い」から遠ざかる人が一定数いる気がする。 しらんけど。 #伝われ
— 爽やかのりさん (@norinori_sub) 2018年7月23日
この呟きに反応してくれたのが作曲家のcroukaさん。
色々とお世話になってるcroukaさんとのやりとりが「表現力とは」「表現力を高める方法」などに通じることでとても有益だと思ったのでここでまとめたいと思います。
かなり深い事を教えてくれたので参考になれば嬉しいです!
音楽技術の上手さと感情表現はイコールではない



技術を突き詰めすぎるとアート的なものから曲芸的な方向にシフトしてしまうというか。


やりすぎると曲芸にもなるし、程々のでも配分を間違えると「聞いたことのあるつまらないの」になる可能性があるし。 まぁ、僕が新しい要素がないとつまらなく感じるだけなのかもしれない(笑)
エンタメや芸術要素を含むものは、バランス感と特出させるべき要素の配合具合って難しいなぁって思いますw
人それぞれハマる所も違うしw


合ってるし間違ってないし上手いけど良いかは疑問みたいな(笑) 好みによるけど。
配合具合ムズイよね!w 依頼仕事は別だけど、何もない所で自分の良さを出そうとしないのはダメだと思う(暴言
「意味が希薄になる」ってのが1番見ててモヤモヤしますw
そもそも表現云々の場に立つ気がない人も居るから、見てる世界が根本的に違うんだろうけど、
制約のない場で自分である主張がないと本当見ててつまらないし、何も感じないですね


なんか主張があるかないかって一瞬でわかりません? というか僕以上にcroukaさんの方がすぐわかるだろうけど(笑) 多少下手でも主張がある方が楽しいです。
本当正にそれで、上手さと感情表現て=じゃないんですよね。
自分もまだまだだけど、色んな人達を見たり聴いたりしてきてやっぱり表現力豊かな人って、なぜかとっても音楽的(芸術的)だったりするんですよね。不思議なもんですw

表現力は「音楽」を理解し音楽的要素を成長させてこそ意味をなす

「音楽的(芸術的)=表現力」なんでしょうね。 ってオーケストラとか見たら完全にそっちに全振りしてますもんね(最終的に) 表現力を磨くのが一番なんでしょうな~^^
言葉の中に内包された本質を見つけられるかどうか?ってのがネックな感じします(ΦωΦ)


あくまで個人的な感覚なんですけどねw


「音楽的」と形容されるものって単純な音楽の素養以外にもグルーヴとかダイナミクスとかだったり色んな物がある訳で、
まずそれらを理解してたり体感体現し得る土壌がなければ、何をしたって砂上の楼閣だよね。って感じかなーって!w



まだまだではあるけど、自分自身がリズムのグルーヴとかを意識して学んで少し形になり始めてから、ソロが音楽的になった気がするから。 指先のテクより音楽を考え始めたからかもしれないけど。とても分かりやすい説明です!
グルーヴとか理解できないなら音楽やめろ
譜面と音符を辿るだけが音楽ではなくてとか。
事務所で勉強してた頃、担当さんに「グルーヴとか理解できないなら音楽やめろ」って言われたんでくっそ考えましたw


たしかにグルーヴ理解できないと音楽の良さは半減するくらいですもんね。担当さん厳しいけど正論w
ボッコボコにされましたけど、それがなかったら今の思考感は得れてないので役に立ったなぁって思いますw


考えるきっかけとかないと人間楽な方にしか行こうとしなかったりもありますしねw


自分の場合の音楽のレベルをあげてこその表現力
ここまでがcroukaさんとのやりとりでした。
話の途中でも挙げている通り、1部は自分の中で経験したことでもありました。
作曲などを全然やってこなかったので短い曲ながらも作曲をし始めて、さらにアイリッシュバンドで「どうやったらギターでもっと気持ち良いリズムを弾けるか、お客さんをノラせることができるのか」を考え始めた時期がありました。
それを続けていくうちに「ソロの意味や表現したいことが分かる」と言ってもらえることが増えてきました。 正直、ソロの練習もしないしギターも単音などは弾くこともほとんどなかったのに。
ソロを魅力的に見せようとしていた時はあまり上手く伸びてこなかったのに、他のレベルの低い部分を磨いたらグッと良くなった。
croukaさんとのやりとりで「リービッヒの最小律のドベネックの桶に似ている」と思いました。
リービッヒの最小律のドベネックの桶 とは
リービッヒの最小律のドベネックの桶とは
リービッヒの最小律を分かりやすく説明するものとして、ドベネックの桶が知られている。 植物の成長を桶の中に張られる水に見立て、桶を作っている板を養分・要因と見立てる。 これならば、たとえ一枚の板のみがどれだけ長くとも、一番短い部分から水は溢れ出し、結局水嵩は一番短い板の高さまでとなる。 リービッヒの最小律 - Wikipedia
というもの。
全部がこの通りになるとは言えないけど近いものがあるなと思った。
表現の場合も、「本質的な要素として必要な部分の一部がレベルが低いと水は一番低い部分までしか上がらない。」のだと感じた。
音楽の場合で言うと、「音楽とは何か、音楽的とは何か」として必要な部分・・・会話で挙がったグルーヴとかダイナミクスなどのレベルが低いと「表現力」という値は一番低い部分のレベルまでしかいかない(水は貯まらない)。
グルーヴとかダイナミクスなどを理解しておらず経験もしていない中で「表現力」といっても、乏しいものしか出てこないのは当たり前ですよね。
例えば、役者で早口言葉が長けていて活舌が良くても演じる素養のレベルが低ければ「良い」とはされないかもしれないし、曲芸としか判断されないかもしれない。
この場合気をつけないといけないのが「劣っている能力があるから"全て"鍛えないと」と思うこと。
鍛えるのは大切だけど、ここで大事なことは「表現で大事な〇〇的はなにか」ということ。音楽だったら「音楽的に大切な要素は何か」と言う部分。
音楽的な要素で劣っている部分を鍛えるのが音楽レベルを上げて、音楽レベルに応じて表現力のレベルも上がっていくのだと思う。
案外「本質とは何かを理解しましょう」ということなのかもしれないなと思いました。
木を見て森を見ずではダメだなと。
大きな気付きを得られたしとても勉強になったやりとりでした!
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以前、project758 (名古屋の魅力を発信する名古屋市と名古屋学院大学の取組み)にてcroukaさんの作曲にてギターを入れさせていただきました。
■ 声優の長縄まりあ さん(croukaさん作曲)の曲「あなたの心をメタモルフォーゼ」でギターソロを弾かせて頂きました!