「親ガチャ」という言葉が最近使われている。
親ガチャとは
子どもの立場から「親は自分では選べない」「どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ」と述べる表現。ソーシャルゲームにありがちなキャラクター入手方法(いわゆるガチャ)になぞらえた言い方。
という意味。
「親ガチャに失敗した」という使われ方も多い。
「親ガチャ」の使い方に対しては賛否両論分かれている中自分が思ったことを書いていきたい。
親ガチャで失敗と思われるダメな親や毒親は確実にいる
「もっとお金持ちの家に生まれたらな~」という意味で「親ガチャ失敗したわ~」という使い方もあれば、「親にもっと愛されたかった」という「親ガチャ失敗」という使い方もある。
親ガチャという言葉は重い使い方ではなく軽い使い方も多いだろうから一概には言えない、けど親ガチャで失敗と思われるダメな親や毒親は確実にいる。
生配信をしていてリスナーさんと話すと「うちは毒親で…」とか「暴言が凄い」とか「デリカシーが無さ過ぎる」などなど色々ある。(リスナーさんは女性)
それを聞くと色々な家庭があるんだなと思う。
もっとひどければ虐待・DV、育児放棄などもありうるだろうから全部をひっくるめても「親ガチャ」はあると思う。
とはいえ思うこともある。
「配られたカードで勝負するっきゃないのさ、それがどうゆう意味であれ」
僕の好きな言葉でこういうのがある。
「配られたカードで勝負するっきゃないのさ、それがどうゆう意味であれ」
これはスヌーピーの漫画で交わされた会話。
ルーシー「Sometimes I wonder you can stand being just a dog ….」
(時々、わたしはどうしてあなたが犬なんかでいられるのか不思議に思うわ。)スヌーピー「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」
(配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ。)
これにも当てはまるなと思うんですよね。
親ガチャに成功しても失敗しても、それぞれが持つカードで勝負するしかないよね。
手札の質や環境は違うだろうけど、同じ土俵で戦うしかないのであれば、持っているものでどうにかして生き抜くしかないよね。
親の良し悪しは上を見たらキリがない
親ガチャは色々な意味で使われるけど、正直言い始めたらキリがない。
お金持ちでも「ユニクロの社長(柳井さん)のところで生まれたかったな。あれは親ガチャ成功だろ」と思ってももっと上はいるだろうし、もしかしたら柳井さんの息子さんも「ビル・ゲイツのところに生まれてたらな~」とか思っているかもしれない。
何かしらの優れた才能を持った親の遺伝子を継いだとしても「親は芸術面に才能はあるかもしれないけど、俺はスポーツ選手になりたいから身体能力に優れた人が良かった」とか思うかもしれない。
キリがないし無いものねだりも生まれるかもしれない。
親ガチャで失敗しても学生を終えたらあとは自分次第なので頑張るしかない
親ガチャに失敗したとしても、それが心底イヤだったら自分次第でだいたいのことはどうにでもなる気がする。
義務教育期間は親のお世話になるのがほとんどだとは思うけど、イヤだったり気になるのだったらさっさと一人暮らしをするのが良い。
特に義務教育を終えたらあとは自分で生きられる。
お金を稼ぐのも、能力を伸ばすのも自分次第。
今までの環境が悪かったかもしれないけど、これからは自分で整えられる。
自分でどうにかするしかないよな~と思ってしまう。
親ガチャに成功してるのが一番良いけどね(笑)
親ガチャに外れたからこそそれをバネに頑張る!
僕は音楽をやっているけど、親は音楽の才能は多分ない。
リズム感もないし音痴だったりで昔は「俺ギタリストとして生きていきたいのにな」ともちょっとは思ったことがある。(本当にちょっとだしガチャに失敗とは全く思ってはいないですよ)
でもそれがあるから「そんなのに負けないぞ」とバネに頑張れた気がする。
また好きな野球選手・監督で今は亡き野村克也という人がいる。
貧乏な家に生まれ著書には何度も幼い頃の貧乏暮らしが書かれていて「絶対抜け出してやる。親に良い想いをさせてやる」と頑張ったという。 ある意味では貧乏をバネに頑張れたのかなと思う。
マイナス要素もバネに頑張れたら良いよね。
仮に親がその道に精通していなくても成功する人はたくさんいるからね。
ちなみに親は音楽は好きでずっと歌ってたりしたらリズム感や音程合わせるのが超上手くなってる。継続は力なりだな~と。本当に素晴らしいって思う。
親ガチャに限らず人生全てがガチャ
親の影響はとても大きいし親が作ってくれた環境はとてつもなく大きい。
でも、人生過ごしてみると「人生全てがガチャ」とも言える。
高校の時の同級生、先生。
バイト先の先輩、同期、社員。
たまたま出会った人。
・・・もうね、生きてれば全てがガチャなんですよね。
すげームカつく人のいるバイト先や仕事場でお金を稼がないといけない場合もあるし、旅で出会った人との会話がその後の人生を変えることになったり。
僕は世界一周の旅をして良い出会いも悪い出会いもたくさん経験して色々学べた。
その中でも音楽の道を諦めてサラリーマンとして生きようかとも考えててインドで出会った人に悩みを打ち明けたら「のりくんはもう進む道決まってるじゃん。だって旅にまでギター持ってきてるんでしょ?」と言われてハっとして今があります。(ギタリスト、楽器店経営など)
あの出会いが無ければ今の自分はないなぁとも思う。
「自らが生まれる境遇を選べない」という観点からは少しずれるけど、全てがガチャみたいなものだし、そこから何を得てどう繋がってどうするかなどは自分で選ぶしかない。
ささっと自分で選べる場所に行って自分で進んでいくのがいいのかなとも思う。
親ガチャもあれば子ガチャもある
「親ガチャ失敗した」という言葉があれば、もしかしたら親が「子ガチャ失敗した」と思う人もいるかもしれない。
どっちも悪い意味で思わないように、思われないようになりたいよね。
「親ガチャに失敗」しても配られたカードで勝負するっきゃない。あとは自分次第
親ガチャに対して思ったことを書いてみました。
親ガチャはたしかにある。
でもある程度は自分次第でどうにかなる気がする。
どうしてもイヤなら自分でどうにかするしかない。
配られたカードで勝負するっきゃない。あとは自分次第。
そんな気がしています。
本当に悩むほどであったら行政を利用して避難したり、もう少し軽ければココナラというサイトで悩み相談を聞いてくれたりするので利用するのも良いかもしれないですね。
そもそも「親ガチャ」はすんごい軽い気持ちでの冗談という意味での言い回しもあるだろうかこんなにしっかり考える必要はなんだと思うけどね!(笑)
自分自身が親になった時には「親ガチャに失敗した」と言われないように育てたいなとも思いました。
ある意味、親ガチャという言葉が普通になればみんなが「自分はしっかりした親になろう」と思うかもしれないし良いのかもしれない。
どんな状況であれ全てを良い方向に捉えられるようになる物事の味方を鍛えるのも良い結果になるかもしれないですね。