つれづれ 考え

坊主憎いが袈裟良いね!

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坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
その人(物)を憎むあまり、それに関わるすべてのものが憎くなることのたとえ。

たまに「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という状態の人を見る。

こういう人を見るたびにとても残念でもったいないと思ってしまう。

もっと良い所も見た方が良い。

・・・そんなことを常々思っています。

残念に見えてしまう理由、良い所を見た方が良い理由を書いていきます。

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「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」状態の残念な理由

まずはじめに誰かが嫌い・憎いということは誰しもあるので否定する気はないです。

ただ、「〇〇が嫌いだからやってることはダメだ!」「コイツの△△はクソだ!」と短絡的な考えになってしまうケースがとてももったいない。

残念だと思う理由は

  • 人と事(物)を分けて考えることが出来ていない
  • 感情的になりすぎている

  •  の2つ。

    人と事(物)を分けて考えることが出来ていない

    前述の通り「誰かが嫌い」というのは誰にでもあります。
    そして「自分が気に入らない事・物」のも事実です。

    ただ、「嫌い・憎い人間のすること=憎い・嫌い」というのは

    人と事(物)を分けて考えることが出来ていない

    ということ。

    しっかりと分けて考えたうえで両方とも嫌い・憎いというケースもありますが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」状態はそうなっていない人がほとんど。

    脊髄反射のように嫌いとなっています。
    評価をしているのではなく、単純にその人が嫌いなだけじゃん。というケースも多い。

    これが常に行われている人は

    「あぁ、この人は分けて考えることが出来ない人なんだな」

    と思われる可能性が高い。

    この人の周りにいた場合、自分が良い事をしても嫌われたら評価されないという事でもありますよね。

    何かを正しく評価できないというのはとても残念な状態。

    感情的になりすぎている

    「何かを正しく評価できない」というのが能力ではなく「感情」に引っ張られているのも残念。

    感情的になりすぎている

    ということです。

    自分の感情を制御できなくて、物事を正しく評価できていない。

    とても残念。
    近くにいたらちょっと大変かも。

    だから考え方を少し変えられたら良くなるのになと思うんです。

    坊主憎いが袈裟良いね!

    「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」じゃなくて!

    坊主憎いが袈裟良いね!

    っていう考え方!!

    これです!!

    坊主は憎いのはしょうがない。

    でも、「袈裟が良かったら褒めようぜ」っていう。
    諺を完全に無視のスタイルだけど。

    漫画・アニメでライバルに対して

    「あいつはイヤなやつだが実力はホンモノだ。」

    みたいな。
    嫌ってるしムカついてるけど、実力の部分は別物としてしっかり見て評価してるでしょ?

    こういうのが大事だと思う。

  • 〇〇は嫌いだし見たくもないけど、言ってることは正しいと思う。
  • あいつの言動は嫌いだけど、あいつの演奏は感動する

  •  こういう風に考えられたら良いなと。

    良い面は見ていこうぜ!

    その人云々ではなく、「良い部分」に触れることが出来る。触れる回数が増える。

    これだけでも充分良い事だと思っています。

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    坊主憎いが袈裟良いねの利点

    さっき考えた言葉なので利点なんてあるのか知らないけど、考えてみると色々と利点があるなぁと思います。

    物事を分けて考えられる

    人の良し悪しと物事の良し悪しをしっかり分けて考えられるようになります

    分けて考えられないと「坊主憎いが袈裟良いね!」なんて言ってられない。
    「あいつがムカツクから、あいつのやってる事もムカツク」てなっちゃうよね。

    感情に支配されていない

    冷静になっていないと「坊主憎いが袈裟良いね!」は難しい。

    怒りとか嫌いという感情に支配され過ぎると・・・「イイネ!」なんて言ってられない。

    「袈裟良いね!」と言えるということは、感情に支配されていないということ。
    上手く抑えられて、感情と付きあうことができるということですね。

    良い部分は良いと認めることができる

    嫌いな人だったとしても「良い部分は良いと認めることができる

    悪い部分に引っ張られて良い部分も悪いと感じてしまうのはとても残念。
    良い部分は良いとしっかり感じ取れるようになれるのがこの考えの良さ。

    嫌な相手を無理矢理見ろというわけではない

    「人の良い面もしっかり見ようぜ!」

    とは書いたけど、「嫌な相手を無理矢理見ろ」というわけではないです。

    嫌なモノは見なくて良いのが自分の考え。

    でも「見た場合・聞いた場合はしっかり判断しようよ」という考え。

    そして、出来る限り良い面を見つけていこうという考え。

    嫌いなのを無理矢理好きになれという話でもないです。

    短絡的で感情的で分別できていない考え方はやめようというのを常に思っています。

    おわりに

    坊主憎いが袈裟良いね!
    「坊主憎いが袈裟良いね!」という考え方はいかがだったでしょうか?

    ここまで書いて検索してみると言っている人ちょいちょいいましたね(笑)

    本当に憎いというレベルまでいくとどうしようもないけど、嫌いとかなんかイヤくらいだったらちゃんと評価してあげられるレベルだと思います。

    「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ではなく
    「坊主憎いが袈裟良いね!」という考え方。

    少し意識してみるだけでも、周りの見え方が変わっていきます。

    是非お試しあれ。

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