「あいつは才能あるから・・・」
こんな発言したことありませんか?
この発言に一言言いたいことがあります!!!
昨日「「執念は才能に勝る」最後まであきらめずに、粘り強く、ひたむきに取り組み続ける人たちが成功をする。」を書いたばかりだけど、書きます。
才能がある・・・じゃねぇから!!!
「あいつは才能あるから・・・」
とか、言ってるお前!!!
なにいっとんじゃぁ!!
いやね、もちろんずば抜けた才能の人もいますよ。
でもね、多くの人は「身につけた才能」だと思うんですよ。
何かをやってきたから、才能が花開いたんです。
野球選手 イチローの努力
分かりやすい例を書いてみます。
野球選手 イチロー。
大リーグで活躍しています。
おそらく、現時点では日本が生んだ最高の選手ではないでしょうか?
個人的にはそう思っています。
最高かどうかは人それぞれですが、「天才」というのは誰もが認めるものだと思います。
「イチローは才能があるから・・・」
たしかにそれは間違いではないはず。
でも、彼が幼少時にやってきたことを見ていない人も多いのではないかと思います。
イチローの作文ではこう書かれています。
「3才から7才までは半年くらいやっていました」
3歳から7歳まで、1年の半分は野球の練習をして過ごす。
「3年生の時から今では、365日中360日は激しい練習をやってます。」
ありきたりなことを言うけど、この練習があるからこそのイチローなんだと思います。
これがなかったら今のイチローがいたかどうか・・・。
「イチローは才能がある」
この裏には、幼少期のこの努力があったからこそ、ということは確実です。
「あいつは〇〇だから・・・」
イチローは少し特殊過ぎたかもしれないですが、身近にいる人で「あいつは〇〇だから・・・」と言ってしまう人はいませんか?
あいつは人気があるから・・・
あいつは話が上手いから・・・
あいつは人付き合いが上手いから・・・
あいつはモテるから・・・
あいつは料理の才能があるから・・・
・・・
上げていくとキリがないですが、こう思ったことないですか?
才能があるかもしれない・・・
でも、それは
多くの時間を費やして得たものかもしれないですよ?
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多くの時間を費やして得たもの=才能!?
「あいつは人気があるから・・・」という人は、人気を得るために、「どうすれば人気を得られるか」をずっと考えたり研究したのかもしれないですよ?
試行錯誤をして、考えてまた試して・・・それで今は人気者になれたのかもしれません。
「あいつは話が上手いから・・・」という人も、話し方を勉強したのかもしれないです。
「モテる人」も、モテる髪型、服装、話し方などなど研究したのかもしれない。
「料理」もたくさん失敗して今は上手になっているかもしれない。
・・・
あなたが「才能」と呼ぶものは「多くの時間を費やして得たもの」の可能性がありますよ。
「才能があるからここまでできる」と見える部分は「努力で得られたこと」というのもありうるんじゃないでしょうか?
努力し続ける才能と呼べるかもしれない。
でも、それ以上に「やったかやらなかったか」という可能性も大きいと思う。
楽器の才能について
私事ですが、僕はギタリストとして活動しています。
お仕事としてお金を頂いています。
たまに
「自分の好きなことでお金貰えていいね」
「才能があるんだね」
とか言われる事もあります。
・・・
まぁ・・・俺、めっちゃ時間費やしたから!!!
まぁまぁ頑張ってきたから!!
と思うんです。
怒るわけじゃないですよ(笑)
でも、結構ギターを弾いてきたからね!
これは僕だけが思うことではないはずです。
なぜなら、誰しも努力してきてるから。
執念じみた、狂気じみた練習、膨大な時間を費やさないと上手くなれないジャンルだから。
もちろん、もっと上手くて、もっと成功している人達は、自分よりも多くの時間を費やしています。
彼らよりも僕は時間を費やしていないとも思っています。
意識の差も大きいです。
その結果、成功の大小が生まれていると考えています。(コネや運もありますが)
自分自身に才能があるかと言われたら、正直分からないです。
抜群に上手い人達を見ると「う~ん・・・」とも思ったります。
でも、ずっとギター弾いてきたよっていうのは自分の中であります。
「下手になりたくないから」という理由で世界一周の旅をした時もサイレントギターを持って行って練習していました。
なんだかんだギターをずっと弾いてきたわけです。
で、ここで言いたいのは「才能があったかどうか」ではなく「時間を費やしたから今の状態になれた」ということなんです。
努力しないでも楽器や音楽の能力がずば抜けている人も存在すると思います。
その人はすんごい上の方に行っちゃってますね。本当の天才です。
でも、才能に見えるものでも、努力したから・時間を費やしたからというだけの場合も多いと思うんです。
努力が足らないからこそ、「才能がない状態」になってしまっている可能性もある気もします。
これは以前書いた「音楽で生き残る人は1000人に1人の確率。900人は経験値も積まないでボスに挑むヤツ、残り100人の内95人は努力ができる凡才、残りの5人は食える。そのうち大成功を収めるのは運のいい1人。」という記事に書いています。
これは作曲家の友人の発言を基に書いた記事です!
結局自分が何もやってないだけ
「才能があると言われる人」は”最終的に”膨大な時間を費やしています。
ある人は1日に「1cm」という本当に短い距離だけど前に進んでいる。
「1cm」なんて、進んでいるのか進んでいないのか分からないほどの距離。
でもこれが1年後には365cm=3.65m先にいる状態。
3m先ってまぁまぁ離れていますよね。
それが2年後には7.3m。
3年後には10mを越える。
一緒の位置にいたと思っていたのに、こんなに差がついてしまっている。
ここでアナタはこういうんです。
「あいつは才能あるから・・・」
・・・
いやいや、
「あなた何もやってないじゃないですか?」
っていう。
1cmも前に進む事やってないじゃないですか
っていう。
伝わりますか?
例えば「自分の好きなことでお金貰えていいね」という人。
たまに嫌味の含んだ言い方もあります。
でも、
自分の好きなことでお金を貰うために何もやってないでしょ?
そのために時間費やしてないでしょ?
って思うんです。
他の事にも言えます。
「あいつは人気があるから・・・」と言った場合、あなたは人気を得るために何かをしましたか?
「あいつはモテるから・・・」と言った場合、あなたはモテるために何かをしましたか?
「あいつは料理の才能があるから・・・」って、料理の勉強しましたか?どれくらい作りましたか?
全員が全員時間をかけたかどうかはわからないし、どれくらいかけたかもわからない。
でも結局「自分が何もやってないだけ」というパターンも多いのではないかと思うんです。
それか圧倒的に時間が足りていないか。
「あいつは・・・」という前に自分もやってみませんか?
「才能がある」と見える人も試行錯誤をして失敗してまた挑戦して、力をつけて「才能がある」と判断されていることが多いのではないかなと。
そういう人を見て「あいつは・・・」と言う前に、ちょっと自分もやってみませんか?
多分、そんなすぐには結果が出ないです。
でも、やってみないと結果は出ません。
自分から動いてみないと、何も始まらないですよ。何も状況は変わらないです。
だから、
「あいつは才能あるから・・・」って、やめませんか?
どうすれば〇〇になれるか・・・、色々と考えて動いてみませんか?
1日に1cmしか進めないとしても、気付いたらだいぶ先まで進めるかもしれないですよ。