つれづれ 考え

「努力できるのも才能」は次元が低い努力できない人の言葉。

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「努力できるのも才能」は次元が低い努力できない人の言葉。
「努力できるのも才能」

たまにネットで聞く言葉です。

でもこの言葉を聞いても全然ピンとこなかった。
意味は分かるし言ってる事も分かるけど、なにかモヤモヤが残る状態。

そのモヤモヤの原因がわかりました。

この言葉が

次元が低い努力できない人の言葉

だと思ったから。

タイトルもそうだけど結構煽り気味でこの記事は書いてみます!

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「努力できるのも才能」なんて実際に聞いたことない

まず違和感を覚えた理由として「努力できるのも才能」という言葉を実際に聞いたことないということ。

僕は今はギタリストやら経営やら色々とやっています。
そして知り合う方々も幸運ながら凄い人ばかり。僕なんかが知り合えて良いのかというレベルの方も多い。

これはもちろん自慢をしたいから書いた訳ではない。

色んな分野で活躍している人達との会話で「努力できるのも才能」なんて聞いたことがない。

僕はネット以外ではその言葉とは無縁の人生だった。

だから、「努力できるのも才能」という言葉を聞いた時に言葉の意味を理解はできても違和感があった。
生きてきて聞いたことが無い言葉だから。
しかも努力が必須のクリエイターが多い界隈で。

なぜ、その言葉を聞くことが無かったのか?

この問いには「努力」という言葉を考えなければいけない。

「努力」を努力と思っていない。

努力という言葉の意味は

どりょく【努力】

《名・ス自》目標の実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。

というもの。

目標の実現のため、心身を労してつとめること。

これは自分もかなり時間をかけてきた。
ギタリストとして、毎日8時間とか練習したし色々と寝る間を惜しんでやってきた。(トップはまだまだ遠いけど)

「努力をしてきた」ということになる。

・・・でもね。

「努力をした」なんて思った事はないんです。

やりたい事をやってきた」だけ。

「ギターが上手くなりたい」
「この事業をどうにか上手くこなしたい」
「ネットのサイトをキレイにしたい」

ただただ自分がやりたい事に対して良くなるようにやってきただけ。
そのために10なん時間、朝まで、徹夜なども普通にやってきた。

多くの時間をかけたからって「私はたくさん努力をした!」とは言わない。「多くの時間は費やしてきた」なら言うかもしれないけど。

そもそも

「努力」を努力と思っていない。

結果として「努力」という言葉に当てはまっても、自分のやってきたことに対して「努力した」ともいう人はほぼいない・・・はず。

「努力」という言葉は他人が他人に対して使う言葉のような気がしています。

では、なぜ「努力」を努力と思わないのか?

やるのが当たり前だから

それは

やるのが当たり前

だから。

前述の通りで「上手くなりたい・良くしたい」ならやるしかない。

「あんなふうにギターを弾けるようになりたいな!」と思ったら、ギター弾くよね?

「宮崎駿さんみたいな躍動感のある滑らかな絵を描きたい」と思ったら、出来るようになるまで練習するでしょ?

「サッカーでフリーキックが上手くなりたい」と思ったら、たくさん練習するよね?

努力と呼ばれる行動は「当たり前のこと」なんです。

しかも、これは嫌々やっているわけではなく

  • できない悔しさ → 上手くなってやる → やる
  • 楽しい → やる
  •  
    が多いのではないかと思う。

    努力の意味の「目標の実現のため、心身を労してつとめること。」は目指すべき到達点があれば超普通のはずなんですよね。

    それに周りを見ると、寝ないでやっている人、何十時間もやっている人が当たり前の状況。
    自分よりも優れた人がほとんどの状況。
    目指したい人・場所がいて、自分はまだまだの状況。

    そんな状況だったら、それは時間をかけるに決まってる。

    やらない方がおかしいくらいの状況です。

    実際僕はそういう環境で育ち・生きてきました。
    自分の能力の低さに焦って「やばい、やらないと・・・」と常に思っています。

    「努力」なんて当たり前すぎて言う必要がない。
    誰しもやってるし、やらなければ近づけない・追い越せない・行きたい場所に行けないから。

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    「努力できる才能」なんてない

    僕は「努力できる才能」なんてないと思っている。

    「目標の実現のため」だったらなんでもやるから。
    「努力」という行為なんて当たり前だから。

    努力できるというかやるのが当たり前で、「努力できる才能」なんて誰しもが持ってるレベルだと思う。

    「努力できる才能」は全員持ってる状態がスタート。
    全員持ってる状態ならあってないようなもの。

    だからね、やる人達にとって「努力できる才能」なんてないんです。

    「努力できる才能」は次元の低い言葉

    だから「努力できる才能」は次元の低い言葉だとも思う。

    「次元が低い」という言葉はあまり良くないけど、ステージが違うということです。(ステージが高い低いは別として)

    例えばオリンピックに出るような人達に「努力できるのも才能ですよね~」なんて言えない。
    全員がやるべき事をやってきた(努力してきた)し、全員が努力できる才能を持ってる人だから。

    その人達の中でも「努力できる才能」なんて出てくることはないはず。

    「努力できる才能」があるないと話すのは、そもそも次元が低いのではないかな?
    そういうのが当たり前の上で行動をしていく人が違う場所に行けるから。

    と考えると「努力できる才能がある・ない」の話でどうのこうの言うのは向いていないのかもしれない。

    なんでかと言うと、やる人は既にやってるから。

    それにやる人は夢中になってるよね。
    時間を忘れて夢中になってる。

    努力という言葉を使わなくても、とにかくやってる。

    やりたいからやってる、やるべき事だからやってる、好きだからやってる。

    やりたい事・好きな事って時間を忘れてやるよね。
    子供の頃はゲームが大好きで、学校から帰ってはずっとやってた。
    ギターも上手くなりたいから、ずっと弾いてた。

    「努力できる才能」がどうのこうのなんて考えたことはなかったし、とにかく自分のやりたいことをするだけ。

    「努力できるのも才能」という言葉は努力したことがない人が使う言葉

    ここでふと疑問に思った事がある。

    やる人はやるし、努力する人にとって努力は当たり前。
    「努力できるのも才能」は当たり前。

    というのがやってる人の共通する事だとしたら、誰が「努力できるのも才能」と言うのだろう?

    それは「努力したことがない人」になるのかもしれない。
    もしくは、努力はしたことはあるけど努力量が圧倒的に足りてない人。

    何事も形になるのはかなりの時間がかかる。

    1週間練習したからってギターがプロ並みに弾けるようになるわけじゃない。
    1か月毎日筋トレしたからって100m走で9秒台で走れるわけじゃない。

    確実に数年単位で、かなりの時間をかけなければならない。

    山に登るのには時間がかかるんですよね。

    やり始めれば山頂までの遠さはわかる。
    そこで登るか登るのをやめるか。

    途中で諦めたとしても、努力をしてきた人は「努力できるのも才能」とは言わない気がする。
    届かなかったとしても、やってきた自負はあるはずだから。

    と考えていくと、言う人は「やってこなかった人」になるような気がする。

    周りにそういう人がいないのと、実際に聞いたことがないのでこればかりは確かめる術はないので、推測でしかないです。

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    近くに言う人がいたら環境を変えよう

    「努力したことがない人」が「努力できるのも才能」という言葉を使うと仮定して、

    もし近くでそういう人がいたとしたら、

    また仲間で言う人がいたら

    環境を変えよう

    類は友を呼ぶ。
    周りにいる人と自分は近い存在。

    だからです。

    やってきた人達は「努力できるのも才能」なんて会話で使わない。
    言う必要のないという共通認識を持った人達だから。

    近くで聞くということは自分がまだその位置という可能性がある。
    環境を変えるか、出来るだけ早く自分がそこから飛びぬける。
    飛びぬければ、そういう言葉を直接聞くことは少なくなっていくはずだから。

    「努力できるのも才能」なんていうのが当たり前という場所に行かないといけない。

    おわりに

    途中は推測などを含めて、少し強めの書き方をしてみました。
    ムカついた人はゴメンね。

    でもね、本当にこの言葉は僕にとって違和感だらけだったんですよ。
    聞いたことがないのが一番大きな理由だけど、「努力できるのが才能??」と不思議だったんです。
    「やるべきことやる」ことができるのが才能??って。

    また、ハッキリ言って努力をしたからって必ず報われるわけではないです。努力量にもよるけど。
    努力してからが才能の世界だと思う。

    だから努力できるのは才能なんかではなく、ごくごく普通のこと。
    そして、努力をしないと見えない場所があって、そこからがスタート。
    成功するのは天才か努力によって才能が開花した人。

    だと思っています。

    本当に一流の人はすさまじい時間を費やしています。周りを見てそう見える。
    だから、「努力できるのが才能」とかそんなのどうでも良くて、やりたければとにかくやるしかないんだなと。

    才能あるないの前に、やりたい事はやりまくれば何かが変わる。

     

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