以前こんなことを呟きました。
「山頂に行く」のが目的として、全員が歩いて苦労して登るというのが正しいわけではないんだよね。
「ヘリコプターで山頂まで行く」なんてのも一つの方法でもあるんすよ。 「到達点と手段」という二つだけを見ればの話。— のりのり@のり部屋 (@norinori_sub) 2017年12月6日
今年はこの事を強く思っています。
今日はそんなお話。
目的が山頂に行くということ
今回の場合で言うと「山頂へ行く」という話。
この「山頂」というのを他の何かに置き換えてもOKです。
山頂に行くというと、山を登るのが正解
自分の足で山を登る。
・・・
と思われやすい。
でも、この場合「山頂に行く」のが目的のため、自分の足で登るのがただ1つの正解ではないんですよね。
「ヘリコプターで山頂まで行く」のも正解。
また「誰かにおんぶをしてもらう、運んでもらう」のでも正解。
伝わりますかね?
ここで言いたい事は
です。
目的を自分で考えを限定してしまっている
「山頂へ行く」というので「自分の足で登る」と考えるのは頭が固くなっている可能性がある。
もちろん「自力で山頂に行く」ということだったら「自分の足で登る」というのは数少ない正解。
自力だったとしても、自転車でもいいしバイクでも良いかもしれない。
色んな場所や人を見て考えが限定的で固まってしまっている人を結構見る。
すごいもったいないなぁって。
かなり限定されたルールが存在するのであれば、そのルールや禁止事項は守らなければならない。
でも限定されていないのに、自分で限定してしまっている場合が多い。
それが最初に書いた「山頂に行く=自分の足で登る」です。
本当にこれ多くの人が思うんですよ。
到達点は認識で来ていても、最適な手段を選べていないケース。
目的に対する手段が力勝負になる必要はない
人生のなかで「ここに行きたい」「こうなりたい」というのが色々とありますよね。
誰か相手がいたりする場合もあるよね。
そうなると「力勝負になりやすい」んですよ。
もちろんそういう場合も多い。
例えば陸上競技なんて基本力勝負で相手に勝たなければ無理な世界。
でも、ここでも極端な話「あいつよりも筋肉が増えれば勝てる」という考えに行く人もたまにいる。(もちろんこの考えだけでは上にはいけない)
ギターや楽器でも「上手くなれば」というのとか。
他の人よりも早く弾ければ、他の人よりもキレイに弾ければ・・・など。
到達点がそこならOK。
ただ、もし「プロになりたい」や「楽器でお金を稼ぎたい」となると変わってくる。
上手くなるのは間違ってはいないけど、この考えだけに縛られるのはもったいない。
でも「プロになる=上手くなる」という考えだけになっている人も多い。
誰もが通る道で力比べになっている。
到達点に行くまでの道は無数にある。
良い絵を描くのにデッサンの技術のみを磨く必要はない
例えば「良い絵」を作る必要があった場合。
「良い絵」を作る
自分が絵を上手くなる必要があると考える人も多い。これも大事だけど。
少し違う視点から見ると、「最終的に良い絵」が出来れば良いんだよね。
自分で描かなくても、PCで丸とかを組み合わせて作っても良いし、濃淡はPCでぼかしても良い。
「自力で良い絵を描く」というわけではないので、方法は何でも良い。
最終的に良いと思える絵がそこにあれば良いから。
「良い音楽」を作る
音楽を作る場合でも変に考えすぎている人も多い。
特に楽器やっている人。
「音を整えるコンプレッサーを使うのは甘え」
「リズムをあとで修正するのは甘え」
「自分の手でなんとかしろ」
こういう意見も聞く。
奏者としては全部できた方が良いし、出来れば上手いプレイヤーに近づく。
でも今回の場合は「良い音楽を作る」だ。
「良い音楽を作る」というのが到達点の場合、そこに行くまでの方法は何でも良い。
人が楽器を弾かなくても、PC上で全部済ませることが良い音楽を作れるならそれもあり。
三国志の場合
いきなり三国志に飛びます(笑)
僕は三国志が好きです。
例えば1つの戦いがあったとして、敵が武力に長けた武将だ。呂布としましょう。
呂布に対して「呂布に勝つために力をつけて技術を磨くぞ!」というのも一つの手だけど、おそらく勝てないでしょう。
で、この戦いの到達点は「戦に勝つこと」なんです。
だから力の強い武将に対して、力で勝負する必要はないんですよね。
諸葛孔明のように軍師を用いて知略で策で勝つ、というのも方法なんです。
呂布や総大将を暗殺というのも一つの手です。
「呂布に武力で勝つ」ではなく「戦に勝つこと」が最終目標だという事が重要なんです。
到達点を明確にする
最終到達点が何かですよね。
そのために最適な方法を選ぶべきだし、自分で限定する必要はない。
「東京ドームで野球をしたい」というのが到達点だとします。
その人がどう思っているか次第ではあるけど、この場合が「プロ野球選手」になるのが正解ではないんですよね。
例えばこんな考えもできる。
「東京ドームを借り切って野球をする。」
これも到達点に行ける。
さらに、「東京ドームのオーナーになる」を実現すれば到達点にいける。
また「球団を買収する。」となればある意味やりたい放題。
自分を選手として登録するのも可能なのでは?
完全にプロ野球選手として「東京ドームで野球をしたい」を叶えることができる。
とか。
自分はこの方法で進みたい、というのもありだけど到達点を明確にして、出来るだけ多くの角度から見て多くの未知を用意するのが一番良い。
目的に対する手段は無数にある。
到達点に行くための手段は無数にあります。
そのために重要なのが
だと僕は考えています。