先日Twitterでこういうものを呟きました。
「この試合スゲー!」「そういや世界一周した時もW杯の時でイタリア優勝したなぁ」「あれって12~3年前・・・ってこの時や!」 となって2度驚き。 とありあえずイタリアの攻撃美しいから見て。
World Cup Highlights: Germany - Italy, Germany 2006 https://t.co/Vi6X60Ztt3— のりのり@のり部屋 (@norinori_sub) 2018年5月31日
あの時はLAにいたんだけど街中が盛り上がってたんよね^^ pic.twitter.com/yqJ09wKNrI
— のりのり@のり部屋 (@norinori_sub) 2018年5月31日
たまたま見たサッカーの動画で世界一周の旅を思い出した、というツイートです。
本当に懐かしい。
そのあと色んなことを思いました。
武勇伝や大きな事を話すのは自慢か!?
ふと「こういう昔の事を言うとウザがる人いそうだな~。。」と思った。
いわゆる武勇伝を語ってるみたいな感じになるから。
もちろんそんな気はない。
自分の人生の中で大きなイベントだったのはたしかだし、今思えばこの旅で色々と考え方が変わった自分を変えてくれた出来事。
とはいえ、これよりも面白いことはそこまでしてないなと。
世界一周の旅を思い出しただけだけど、これってただの武勇伝とも取れるよね。
過去の栄光にすがっている人生なのかな?
と思ってしまった。
でも、ある考え方をして「そうではない」という考えになりました。
「過去の自分」が「現在の自分」を見て良いと思える人生であれば正解
「過去の自分」が抱いていた夢や理想がある。
面白い世界一周の旅をしていた時も「帰国したら〇〇をやって××になるぞ!」と考えていました。
その夢や希望は全て思い通りには叶っていません。
じゃあ、ダメな人生を送っていて、過去の栄光にすがった人生なのか?
そうではないんですよね。
ふと、世界一周をした自分や20歳の自分が「現在の自分」の人生を見ていたらどう考えるか?と考えてみました。
すると。
「まぁ、良いんじゃない?
そこもずっとなりたいと思っていた場所だよね。
今僕らが思う行きたい場所とは違うけど、昔から行きたい場所だったし実現できてるから良いんじゃないかな」
という答えが。
あれ?これ正解なんじゃない?
過去よりも優れてるかとか、過去のイベントよりもスゴイ事を今やっているか・・・などではなく、
「過去の自分」が「現在の自分」を見て良いと思える人生であれば正解
なのだと思いました。
大きな事をしていなくても「良い人生」
別にスゴイ大きな事をしていなくてもいいんです。
例えば、「結婚していて幸せだ」とかでも充分。
多分過去の自分から見たら「夢とは違うけど幸せそうだよね。いいんじゃない?」となるはず。
「夢は年収1000万で今は全然届いていないけど、あの会社に勤めていた時よりも充実しているよね」とか。
過去から見て今の自分が良さそうに見えれば、それは1つの正解と言える。
過去の自分や現在の自分が満足していなければ変えるしかない
過去の自分が満足していない場合や現在の自分が満足していない場合は、何かを変えるしかない。
良さそう・・・でも足りない、のであればもう少し変える必要がありそう。
そういうことをやっているうえで、過去の良かった出来事を語っても「過去の栄光にすがる」とはならない、少なくとも自分の中では。
何かを変えたい時はスティーブ・ジョブズの言葉が役に立つと思います。
17歳のとき、こんな文章を読んだ。『毎日、今日こそが自分の最後の日だと思うようにすれば、いつの日か、自分が正しかったということを確信するだろう』この文章は、強烈な印象を私に与えた。
それ以来33年間、私は毎朝、鏡に向かって『もし今日が自分の最後の日だとすれば、今日しようと思っていることが、本当にしたいことだろうか?』と自問するようにしている。もしその答えが「ノー」だという日が何日も何日も続くようであれば、何かを変える必要があると思うわけだ。
現在の人生の良し悪しの1つの基準
「過去の自分」が「現在の自分」を見て良いと思える人生を送っているか
というのが現在の人生の良し悪しの1つの基準にもなりそうな気がしました。
人生は思い通りにはいかないことも多いけど、少しでも自分が嬉しく充実できる道に向かって進んでいきたいですよね。